日本語というのはとても面白くて、特に文章となると人それぞれ色んな表現の仕方をします。
同じ意味のことを伝えようとしても、一字一句同じ言葉を使うなんてことはほとんどないと思います。
それくらい日本語というのは沢山のバリエーションがある言語です。
ただ僕はバカなので、「なんでみんな同じにならないんだ?」と考えるわけです。
バカです。もっと先に考えるべきことが他にあります。
ここから少しふざけます
そんでもって、まずは自分はどうなんだ?と考えてみたところ、“誰かの真似“から入っていることが多い。
「この言い回し面白いな」とか「この喩え面白いな」とか、いろいろ。
#そんでもって
ほんでもって、そういうのの組み合わせで文章ができていって、気付いたら自分オリジナルの文章になっているような気がします。
#そんでもって
#ほんでもって
しかもそこに、漢字、ひらがな、カタカナの概念が入ってきます。
例えば「かばんもって」という文章のときに、「カバン持って」の場合もあれば「鞄持って」の場合もある。
もしかしたら「カバンモッテ」になるかもしれない。
そこでもまた表現の仕方が変わってきて、文章で見た時に印象が変わるわけですね。
#そんでもって
#ほんでもって
#かばんもって
※ちなみにこの「〜もって」のように似た言葉を3回繰り返すことを三段論法といいます。
(ちがいます)
ここからは多分真面目に書きます
話を戻します。
自分オリジナルの文章というのはいろんな人の文章を真似てくうちに出来上がったものだったんです。
(カバン持ってのくだりは本当にいらなかった)
そう考えると、その人なりの文章って、今までの環境や出会ってきた人に大きく影響されるのかもなあと思いました。
だからその人の文章を読めばその人の過去がわかるってことです。
(無理です)
本当にここからは真面目に書きます
かなりふざけすぎて何言ってるかわからなくなってきていますが、何が言いたいかと言うと、想いが伝わるのは自分らしい言葉だということです。
最初は誰かの真似になってしまっていても、いつか自分なりの言葉が出来上がってきて、そこに想いが乗っかって、人の心を動かせる文章がかけるのだと思います。
それぞれの文章にもちゃんと性格や表情があると思っていて、それをいかに表現できるかが文章を書く側の力量だと思っています。
人に想いを伝えるのってすごく難しくて、自分はちゃんと伝えてるつもりでも相手にはちゃんと伝わっていなかったりすることが多々あります。
だからこそ、伝える側は伝える努力をするべきだと思います。
そこを怠るときっとどこかですれ違いが起きてしまう。
良いことも悪いこともきっかけは些細なことから始まっていたりします。
僕ももう一度伝え方を改めて見ようと思います。
今回はこれくらいで。
ばいばい。