今日はちょっと最近思ったことを書こうと思います。
明るい話題にはならないと思うんですけど、それなりに真面目に書こうと思うので読んでいってください。
生きていると悩みは尽きないわけで、生きるのは難しいなーと思う毎日なのですが、先日こんな記事を見つけました。
http://www.死ぬのを延期しつづけている|朱野帰子.com/ @kaerukoakeno
これを読んでみて、いろいろ考えさせられたわけです。
生きるとはなにか、とか。
「死にたい」と言う人はどういう状態なのか、とか。
僕自身何度も死にたいと思ったことはありますし、今でもたまに思うことがあります。
でもなんだかそれが“逃げ”のような気がして、なるべく口に出さないようにしてきたし、その「死にたい」という気持ちを他人に見せないようにもしてきました。
でもこの記事を読んで少し考え方が変わったというか、なんというか。
この記事にある、
みんな生きたかったに決まってるじゃないか。
という一文がなにか凄く心に残っていて、「死にたい」とは言いつつも本当は“生きたい”んです。
だから自分の中の「死にたい」と戦っているんだと、そう考えるようになりました。
そりゃ誰だって幸せに生きたいよ。
この満ち足りない日々を変えるには自分でどうにかするしかないとわかっていても臆病すぎて何も変えられないし、でもそんな自分が嫌いで…とグルグルしているうちにまた「死にたい」がやってくる。
楽しそうな人を見ると色んな感情が湧き出てきて、羨ましいなのか、惨めなのか、その時々でいろいろ違うけれど、「どうして自分だけ」と思ってしまう。
そんなことないのに。
そんなことを言う度に「頑張れ」とか「逃げるな」とか「ちゃんと生きて」とかそんな言葉をもらうけど、自分からしたらドン底なわけで、「もう頑張ってるよ!」って思っちゃうんだよね。
生きるということがものすごく難しくて、辛い。
何のために何をして生きていったらいいのか分からないし、時間だけが過ぎていって、もしかしたらずっとこのままなんじゃないかとかいろんな不安が押し寄せてきます。
この前のGReeeeNのライブで刹那が流れた瞬間に大号泣した理由もだいたいわかっていて、いつからか忘れたけど、ある時からずーっと“生きる意味”を探していたんだと思います。
こんなことを書いておいてなんだけど、今の僕は「死にたい」まではいってなくて、むしろ元気というか。
ただ、なんかあるきっかけでこんなことを考えていたらこの気持ちを書き残しておきたいと思って書き始めました。
僕もこっち側の人間だから思うけど、絶望の淵にいる人を助けられる人になりたい。
でもそう思えば思うほど無力で、そんな自分が情けなくもなります。
こういう人にかける言葉って難しくて、正直何を言っても響かないってのも分かってます。
自分がそうだから。
ただなんか、独りにはさせちゃいけないことだけはわかっていて、なんとか寄り添える形はないかって、それだけ考えるようにしてます。
多分強い人間ではないと思うんですよ。お互いに。
だからこそ助けたい気持ちが強いんです。
この先何度も「死にたい」はやってくると思うんです。
その度にちゃんと「生きてていいんだよ」って言ってあげたいし、光にはなれずとも隣にいてあげるくらいのことはしたいなと。
久しぶりにこんなことを書いたけど、僕はほんの少しだけ前を向けています。
この前のGReeeeNのライブみたいな、いつかの最高の瞬間のためにもう少し生き延びてみようと思います。