ともきの日記

日々の生活で思うことをダラダラ書きます

カラフルな寂しさ

どうも、WATAです。

もちろん本物です。

 

なんか変な感じですよね。
まず簡単に経緯だけ話します。

 

つい昨日の出来事なのですが。
集会所が終わって反省会の時に、ここ最近皆からは感謝の言葉や楽しいと言ってもらっている中で僕もこのいつか終わってしまう集会所のことをブログに残しておきたいなって思ったんです。

 

この記事を読んでくださっている方の中でご存じの方もいるかも知れませんが、僕自身noteというツールで今の自分の心の動きだとか経験を言葉にして残しています。

ただ、そのnoteというツールはどちらかと言うと不特定多数の方々に公開するものなんですよね。

 

その場合、もし集会所について記事を公開するとなると毎回集会所という場所についての説明が必要がでてきます。

そう考えたら何処で集会所への想いを書けばいいのかと思っていました。

そんな僕の想いをともきが実現してくれて今のこのような形になっています。

ここなら読む人は限られているし想いを届けやすいということで場所を借りて書くことにしました。

 

 

ということで早速本題に入ります。

ここ最近、集会所が終わる度に少し寂しさが残るようになってきました。

それこそ昨日はあまりにも一瞬すぎて終わった後にポカンとしている時間があったくらいです。

 

これが僕にとっては少しだけ不思議で、、

最初の頃から集会所に居る時間はとても楽しかったんです。

でもそれは、なんとなく「楽しい」という言葉に収まるような楽しさで、今のように寂しくなる気持ちだとか、終わった直後から来週の企画を楽しみにするようなことはありませんでした。

 

それが、寂しさを感じるようになってからはもっともっと楽しくなったんですよね。

僕はそういう事があると理由を考えたくなってしまう人間なのでなぜなんだろうと考えてみました。

 

その答えが今まで白黒だった集会所がカラフルに色づき始めたからなのだということです。

始めの頃の集会所はどちらかと言うと聞かれたことに答えるということがメインになっていました。質問する司会とそれに答える参加者みたいな。

 

しかし、今の集会所は参加するメンバーがそれぞれの色を持ってきているような気がします。簡単に言ってしまえばその人らしさを集会所でも出してくれるということです。

そんな機会はたくさんあるのですが、例えば相槌やリアクション。

小さなことではありますが、これって結構難しいことですよね。

 

でもそんなことが集会所には当たり前のようにある。

むしろその先で、相槌やリアクションが人によって全く違うんですよね。

だからこそ、話している人に与える安心感ってものすごく大きいし、それが話す人にとっての自分らしさを出せる機会にもなっているのだと思います。

 

そんなカラフルな場所で過ぎていく時間は、日常では味わえないからこそ最後には寂しさが残るのかなと思います。

 

そう考えると幸せですよね。

だって週に一度そんな場所に居られるわけですから。

 

カラフルで目まぐるしく景色が変わる場所に居られる2時間を僕は大切にしたいなと思います。

そんな場所をくれるメンバーの皆には感謝しかありません。

いつもいつもありがとうございます。

 

そしてこんな気持を描ける場所をくれたともきにも感謝しています。

今後も時々こうして記事を書いていこうと思います。

 

ぜひ、お時間のある方は読んでみてください。

長文でしたがお付き合いありがとうございました!