ともきの日記

日々の生活で思うことをダラダラ書きます

「自分らしさ」という罠

皆さんお疲れ様です。

かなり久しぶりの投稿になりました。

きっと文章も下手くそになっていて読みづらいかと思いますが、お許しください。

 

今回はまた例のごとくわたわたがnoteに投稿したのでそれについて書いていきたいと思います。

 

わたわたの記事⬇

 

それでも自分を必要としてくれる場所で|サクラサク @grcrew_wata #note https://note.com/watay_sakusaku/n/n5e67a5b51ce8

 

気づかぬうちに大切なものをなくさないように|サクラサク @grcrew_wata #note https://note.com/watay_sakusaku/n/nb9465d68f769

 

一瞬の裏切りよりも大切なもの|サクラサク @grcrew_wata #note https://note.com/watay_sakusaku/n/n987380d85df0

 

 

一気に3つも投稿していて、さすがのともきくんもびっくらぽん!って感じです。(?)

 

はい。

 

で、今回は「自分らしさ」について書いていこうと思います。

この3つの記事に再三でてくるのが「自分らしさ」というワードです。

どうやらわたわたは「自分らしさ」を大切に生きているみたいです。(知ってた)

 

ただ僕はこの「自分らしさ」を大事にする生き方は少し否定的です。

理由は2つ。

・「自分らしさ」は誰かが(自分で)決めるようなものではないと思うから。

・「自分らしさ」を意識しないと生きられないならそれはもう「自分らしさ」じゃないと思うから。

です。

 

1つずつ説明していきます。

まず1つ目の方に関してですが、自分で思っている「自分らしさ」、誰かが思っている「自分らしさ」はあまりにも不正確だなぁと思うんです。

その自分らしさが憧れや願望からくる虚像の可能性もありますよね。

「こうなりたい」とか「こうでありたい」とか。

それってもう「自分らしさ」とは呼べないと思いませんか?

 

それから2つ目。

「自分らしさ」を意識している時点でもうすでに自分らしくないんじゃないかと思うんです。

辞書には「自分らしさ」についてこう書いてあります。


「自分の特徴や性質を十分に発揮するさま、意識して抑制するのではなくあるがままの姿でいるさま、などを意味する表現。」

 

「意識して抑制するのではなく」って書いてあるのに、、、と思っちゃうんですよね。

 

きっと「自分らしさ」っていうのは生きていたら自然と出てくるもので、誰かが決めるものでも、意識するものでもないんじゃないかと思います。

もしかしたら「自分らしさ」にこだわる人は「自分らしさ」を良い物だと思いすぎているのかもしれないです。

「自分らしさ」の中には自分の弱いところも含まれていると思っていて、もし仮に自分の大切なモノを守れなかったとしたらそれは自分の弱さで、それは自分らしさです。

 

自分が他人になれなくて、他人が自分になれないんだから、生きていたらそれだけで十分自分らしく生きています。

 

これをわたわたが読んでいるかわからないけど、これを読んでどう思うかが僕としてはとても気になるところです。

これを読んで尚、「自分らしさ」を大切に生きるのか、どうなのか。

その選択は自由だしそれこそ価値観の違いなので、これもまた「自分らしさ」なのかもなぁと思います。

 

今回はこれくらいで。

ばいばい。

 

 

 

SUPER BEAVER/らしさ

https://youtu.be/wol-XHb1VhM

 

 

きいてみてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近のワンピースまじでえぐい。

ちなみにこれは高校三年生の夏に撮った写真。

f:id:gazyaramoge:20221121110114j:image