ともきの日記

日々の生活で思うことをダラダラ書きます

わたわたからの試練1

皆さんお疲れ様です。

 

今回はわたわたから「これについて書け!」というお題がきましたので、それについて書いていこうと思います。

 

 

 

早速ですがわたわたからきたお題が、

「なんで人って関係性に名前をつけたいのか?」です。

いろいろ考えてみたのですが、僕的には「名前があったほうが便利だから」という結論に落ち着きました。

例えば、わたわたと2人で歩いてて、知り合いとばったり会って『この隣の人は?』って聞かれた時に関係性に名前がなかったら不便じゃないですか。

ここで“友達”とパッと言えたら楽だしわかりやすいですよね。

多分最初はここからスタートしていて、物に名前があるように関係性にも名前があった方が便利だから名前がついたと思うんですね。

 

で、わたわたから聞かれたのは「普段関係性って部分に目がいくタイミングはどんな時なのか」です。

で、えーっと、あの、元も子もないこと言うんですけど、関係性に目がいったことないです。(笑)

今回聞かれて初めて考えました。

僕自身関係性というものについてあまり執着がないというか、こだわりがないです。

だから人生で“親友”って言葉を自主的に使ったことは無いし、友達に対してこの人は親友だなとか思ったこともないです。

 

僕の考えとしては人間関係はその人のことをどのくらい想っているかだと思うし、想っているのを可視化したとしたらきっとそれぞれ違う量や形をしていると思うんですね。

それを親友だ何だと名前つけるのも違う気がしていて、要はその想いが伝わっていればそれでいいのかなと。

関係性の名前を気にする人はその見返りが欲しいのかもしれないです。

こっちが与えたものに対してこれくらい返して欲しいという期待みたいなものがあるんだと思います。

でも僕はこと友達という関係性においてはそういうものは必要無いと思ってるし友達ってそうじゃないよなとも思ってるので、やっぱり人間関係を分類したりはしないです。

ただ、便利だし必要だから“友達”とか“上司”とかそういう大きな括りでの名前は使います。

けど、人間関係に特別な関係を作って名前を付けるようなことはしないって感じです。

 

上手く言えてるか分からないけどこんな感じかなあ?

答えになってるか分からないので聞きたいことがあれば質問ください!

 

今回はこのくらいで。

ばいはあ。