ともきの日記

日々の生活で思うことをダラダラ書きます

GReeeeNが伝えたかったものは何か

皆さんお疲れ様です。

今回もGReeeeNのライブのことについて書くのですが、GReeeeN関連のブログはあと何本か書くと思います。

それくらい今自分の頭の中が緑一色ということです。

 

で、今回はライブ中の歌の部分ではなくて、ストーリーの部分にスポットライトを当てて書いてみようと思います。

GReeeeNのライブに行ったことある方はわかると思いますが、GReeeeNのライブは他のアーティストのライブとは少し違ってストーリー仕立てになっています。

そのストーリーの中にもきっと何かのメッセージが込められているはずなので、そこを深掘りしていけたらと思います。

 

 

今回のライブのそもそもの元を辿れば去年の夏のライブから繋がっているわけで、去年の夏のライブと今回のアリーナを1本の物語として考えた方が良さそうです。

この1本の物語を通して僕が思い浮かべたものは、キセキと愛唄の映画でした。

キセキはGReeeeNがどうやって結成されたのか、を中心とした話。

愛唄は命と時間の大切さを教えてくれた映画でした。

今回のライブではその2つの映画の要素がたくさん詰まっている気がしたんです。

 

夏のライブでは、最初4人は他人でした。

そこからどんどん仲を深めていき、最後には4人で同じ夢を目指すということになっていきます。

この流れってどこかGReeeeNの結成に似ているし、4人それぞれが抱える悩みも今回のライブで解決できたことも“4人だから”なのかもなぁと思いました。

そんな4人の物語を「僕らの物語」という曲でスタートする今回のライブさすがにエモすぎやしないか。

 

 

それから愛唄のほうの要素です。

今回のストーリーは「銀河鉄道の夜」をモチーフにしています。

銀河鉄道の夜の結末としては、ライブ本編でもあったとおり、あの列車はあの世行きでカムパネルラが死んでしまうという、なんとも悲しい話です。

でもね、このライブで伝えたかったことって、人生は自分の力で変えられるってことなんじゃないかって思うんです。

で、なぜ愛唄の映画を思い浮かべたかというと、人生は変えられると言っても、“死んでしまっては変えられない”からです。

GReeeeNの4人はどこへでも行ける切符を持っていて、ニャンパネルラは持っていなかった。

これはきっともう既にニャンパネルラは死んでいたってことなんじゃないかなって思うんです。

だからニャンパネルラは4人と一緒には来られなかった。

僕はそんな考察をしてます。(笑)

 

 

あとはやっぱり、“歌の力”だよね。

最後石化をといたのも歌だったし、いろんなことを経て今もなおGReeeeNが歌い続ける理由の1つがこれなんだろうなぁと思います。

 

そしてその歌の力を最後の5曲で本当に強く強く教えてくれた気がします。

 

 

GReeeeNが伝えようとしたものを全部受け取れているかわからないけど、それでもたくさんのものをくれているGReeeeNさんには感謝しかないです。

また次の物語がどうなるのか、楽しみで仕方がないです。

 

今回はこれくらいで。

ばいばい。

 

苦しんだ分の何かを

皆さんお疲れ様です。

今回はこれ!

自分の気持ちを満たしてから|サクラサク @grcrew_wata #note https://note.com/watay_sakusaku/n/nc355cefa4813

 

わたわたのこれ読んでから先に進んでね。

 

ではでは、本題に。

 

わたわたが少し早めに企業さんから内定もらったみたいです。

まずはおめでとう!だね。

友達として単純に嬉しい。

ただおめでとう自体は本人にはもう伝えたので、今回はそっから少し踏み込んだことを書けたらなぁと思ってます。

話の終着点全然きまってないけど、なんとなーく書いていきます。

 

記事を見ているとわたわたはそうとうな壁にぶつかったんだと思います。

ただ先に僕の方が壁にぶつかっていて、だからこそさっきのわたわたの記事に書いてあったことの大体は気持ちわかるし、経験しました。

でもこの気持ちや考えって実際体験しないとわからないし、アドバイスされてもピンと来ないんだよね。

身をもって体験するしかない。

それが早いか遅いかの違いで、自分にもわたわたにも言えることだけど、これに気づくのがもっと遅くならなくて良かったなって思います。

 

この悩み続けた時間は、自分のためだけじゃなくて誰かのためにもなる気がしていて、それはいつかの後輩なのか子どもなのかわからないけど、誰かの何かになりえるものです。

そう思いたい。

そう思うから上手くいっていない時期も頑張れる。

これが僕のモチベーションにもなってます。

 

 

それからそれから、

最近思うのは人生の分岐点に立った時に本当の自分が出るなぁって思うんです。

僕が壁にぶつかった時もそうだし、わたわたのときもそう。

で、お互いに上手く行けば良かったんだけど、一発目は見事に失敗したんだよね。(笑)

 

逃げたって言葉が結構出てきてたけど、やっぱり自分で人生のなにかをちゃんと決めてこれたかどうかってやっぱりでかいよね。

僕も大きな選択の前にビビって逃げたし。

なにかのための覚悟の選択なのか、それとも自分を肯定するだけの逃げの選択なのかでその後の後味が違います。

逃げたあとは本当に後味が悪い。

後悔も反省も腐るほどするし、そんな自分の不甲斐なさを痛感します。

 

ただ、失敗して良かったなんてことは思わないけど、失敗しなければ見えなかった景色もあるわけで、これはこれで自分の人生としてちゃんと生きていこうと思います。

 

 

とにもかくにも、わたわたは一区切りついてよかったよね。

一区切りといっても人生は地続きで、まだまだ終わらないので気を抜いてはいられないと思うんだけど、なにかひとつ頑張ってたものが報われる瞬間てのは嬉しいです。

 

一昨日電話したときの声色が前と全然ちがってておもしろかったなぁ(笑)

ほんとにホッとしたんだと思う。

 

また来週2人で温泉行くので、そんときにもまたいろいろ話せたらなぁと思ってます。

 

みんなもわたわた祝ってあげてね〜。

 

今回はこのくらいで。

ばいばい。

未来の話をしよう

 

皆さんあけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

というわけで、新年一発目の投稿です。

noteのほうではわたわたがたくさん投稿してて嬉しい限りです。

それに触発された訳ではないですが、僕もブログを少しずつ書いていこうと思っています。

拙い文章だと思いますが読んでいってください。

 

 

今回は年末年始休暇で地元北海道に帰省したので、その時の話を交えつついろいろ書いていこうと思います。

 

12/31~1/4というスケジュールで帰省したのでそんなに長い間いた訳では無いですが、そこそこに濃い日々を過ごせたかなと思います。

 

今回の帰省で1番大きかった出来事はお父さんとサシで飲みに行ってきたことかなあ。

お父さんと2人は人生初です。

正直僕とお父さんの関係ってあんまり良くなくて、学生時代は喧嘩したこともあるし、喧嘩なんてもので済むレベルじゃないところまでいってました。

そんな父親から謝罪の言葉というか、そういう言葉をもらって、そしたらなんか泣けてきちゃって(笑)

中学生から高校、大学ってずっと家庭状況良くなくて、昔言われたことされたこと、自分が言ったことしたことがずーっとしこりになってひっかかっていたのですが、それが今回でなくなったような気がしました。

あとは自分が今仕事のことであまり上手くいってないことを知ってるので、それに関して人生の先輩としてアドバイスもらったりもして、凄く有意義な時間を過ごせました。

 

これがきっかけで今の現状が変わる訳ではないけど、精神的に少し余裕が持てるようになったかなぁと思います。

 

 

自分の人生を振り返ってみると、23年とちょっとしかいきてないけど、それなりに遠回りしてきたなぁというふうに思います。

決して器用に生きては来られなかったし、きっとこれからもそんな気がします。

何もかも気づくのが遅すぎて、色んなところで傷つけ傷ついてきました。

 

まあでも、遠回りしたからこそ出逢えた人もいるわけで、その出逢いには感謝だし、今まで出逢ってきた人たちがいるから少しだけ自分の人生を肯定できるような気がします。

 

何が言いたいかと言うと、今回の帰省でたくさん過去を振り返ったぶん、こっから先は未来のことを考えないとなぁと思ってるってことです。

 

もう子どもじゃないし、全ての選択権は自分にあります。

その責任も。

これからする選択を正解にしていくために、必死にもがきながら生きていこうと思います。

 

これ聴いてみてね⬇

未来の話をしよう - song and lyrics by SUPER BEAVER | Spotify

 

 

ロッキンビーツ

皆さんお疲れ様です。

 

今回は先日発売されたGReeeeNのNEWアルバム「ロッキンビーツ」についていろいろ書いていこうかなと思います。


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とにもかくにも、まずはこんな素晴らしいアルバムを出してくれてありがとうございますって感じですね。

 

HIDEさんとnaviさんがミドリの二重スリットゥーで全曲解説してたので、僕も1曲ずつ感想を書いていこうと思います。

よろしくどーぞ。

 

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1.Morning Glory

タイトルの「Morning Glory」は日本語で「アサガオ」という意味になります。

曲調からも夜明けが来るような、ほんとに朝にピッタリの曲だと思いました。

 

ちなみに英語わからない人のために書いておくと、冒頭の「THE TIME HAS COME」は“時が来た”という意味です。

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歌詞を見てもすごく力強くてGReeeeNらしいなって感じですね。

他人任せじゃなくて、後でじゃなくて、今自分で何をするかを考えさせられる歌詞です。

 

 

 

2.SONG 4 U

この曲はHIDEさんがラジオでも言っていた通り、「GReeeeNからのGReeeeNへの手紙でもあり、聞いてるみんなへの手紙でもある」曲です。 

 

イントロのからGReeeeNらしさと、この曲に込めた想いみたいなものが伝わってきます。

アコギとかもはいってるからか、温かい雰囲気がでていて泣けちゃいます。

しかもAメロが低音からってのも良いですよね〜。

それぞれのソロパートとサビの一体感ったらもう最高です。

ライブで聴いたら確実に泣く曲です。f:id:gazyaramoge:20221223130744j:image

 

3.栞

この曲はこのアルバムが発売される前に二重スリットゥーで流れた時からめちゃくちゃ聴いてた曲です。

まじでどストライクでした。

まず「街」アンサーソングってところからすでに惹かれてたし、その後イントロ聴いた瞬間に死にました。

ハイ。

で、まずは「街」について少し書こうと思います。

僕がごちゃごちゃ言うよりもHIDEさん本人がその当時思っていたことをそのまま感じ取ってもらう方がいいと思うので、HIDEさんのアメブロの記事から引用させてもらいます。

 

『街』について。

 


今から9年程前、私、高校を卒業しまして、大学も行かずに花の都、大東京へと移り住みました。


若かりし頃の私にとって、あの街には何もかもがございました。


その何でもある街は、いとも簡単に『自分』という意味を忘れさせてくれました。


必死に他人からの評価を気にし、つまらない事で周りを傷つけた事もあったでしょう。他人を見下げることで自分を守っていたのでしょうか?


自分と言う名のイメージを作り上げていたんです。


小っちゃいですね。

 


まぁ、そんなこんなで、ここ福島県にきまして、

ただ広い空、

綺麗な夕日、

暖かい人たち、仲間達、

ゆっくりとした時間に触れる中で、まだまだ若輩ものですが、小生にとっての自分という存在が少し分かった気がしました。


「あっ、間違ってたくさい。」

って。


言葉にするのはナカナカ難しいですが、言いたい事は全て曲にぶつけてあります。


聴いて、感じ取ってみてください。


今の自分に何か違和感を感じておられる方は、一人で綺麗な夕日でも見ながら聴いて頂ければ、何か感じ取っていただけるのではないか!?と、思っている次第でございます。


みなさんにとって大事な事は何ですか?


ちゃんと見えてますか?


僕らも必死にもがきながら、彷徨いながら、進んでいきます。


何かの力に成れたら幸いです。

これが2007年11月14日のHIDEさんのブログです。

 

こんな気持ちで作った「街」という曲から約15年たったいま、「栞」という曲ができたキセキに少し感動すら覚えます。

 

この15年で変わったもの変わらなかったもの、どちらもあると思いますが、“ミチシルベはあの日のまんま”というフレーズが変わらないものが何かを教えてくれている気がします。

 

 

 

それからそれから、

悩んで迷った時には あなたの声に会いたくなるよ

っていう歌詞が個人的に好きで、あなたの声が聞きたくなるよとかじゃなくて、会いたくなるよっていう表現がいいですよね。

“あなたの声”をひとつの存在として捉えている感じが。

 

あとは曲名がなぜ「栞」なのかですよね。

これはけっこう簡単で、

「栞」は「本に挟む目印の役割をするもの」という印象が強いかもしれませんが、これは日本のみでの使われ方で、もとは「木の枝を折ったり、削ったりしてできた道しるべ」の意味をもちます。

と、調べたらかいてありました。

ようはこの曲はGReeeeNのミチシルベとなる曲ってことですね。

最高かよ。

 

4.Ito

もともとは楽曲提供した曲ですが、GReeeeNが歌うとまた違った雰囲気がでるなぁと思います。

ここらで1個Itoのやばいポイントを紹介します。

辞書みてたら気づいた事なのですが…

 

「恋」の旧字体は「戀」。「絲」は糸がもつれる様子、「言」はけじめを意味します。この下に「心」をつけると、「もつれた心の糸を解くことのできない状態」を示す「戀」になります。

NEWSの増田貴久さんにも「戀」という曲を楽曲提供していましたが、ここで伏線回収くるか!みたいな感じでした。

このItoという曲は相手のことを想う、純粋な恋の唄なんだと言うことがわかります。

 

しかもこの曲って1番はまだ“君”にはまだ出逢っていなくて、“君”を探している状態なんですよね。

2番で見つけて、ラストで重なり合うっていう完璧な流れになってるんです。

出逢うべくして出逢ったフタリの恋の物語って最高だね。

「イト」と表記しているのは「糸」と「愛しい」とイトを強調する意味があるのかなぁと推測してます。

 

なんにしろこれも名曲だよね。

 

5.愛し君へ - ESSENTIAL ver.

ピアノ1本というGReeeeNにとっては珍しいアレンジの曲です。

もともとの曲の温かさとは別の温かみがあってこれまた最高ですね。

囁くような歌い方で、また違った側面を見れる曲かなと思います。

遠くにいるアナタを想って歌ってるようなそんな感じがします。

 

ラストのアレンジとかほんと最高だよね。

原曲の愛し君へも今回の愛し君へもどっちも違うよさを持っていて好きです。

 

ちなみにピアノはあのnishi-kenさんが担当してます。

ラジオで「おけんけんせんせい」って呼んでたけど、普段からそんな呼び方なのかな?笑

 

6.花束

今回のアルバムの中でひときわロックな曲調の曲です。

歌詞もエッジが効いてて、いろいろ考えさせられます。

誰にでも間違いはあるし、それを全員で指さすのは簡単だけど、それを許す強さを持った人間でありたい。

一度間違ったら終わりの世界はクソです。

 

HIDEさんがラジオでも言ってたけど、

色んなご時世もあるなかで、手に握るものは一体何なのか。
自分は何を握るのかを選択する。
綺麗なことだけでないこの世界で、何を自分が選択して、自分革命にとっての武器は愛なんだと言っていくことは大事なことだと。

 

本当の意味で“かっこいい人”とは何かを気づかせてくれる曲ですね。

 

あとAメロの92さんえぐない?

エロくない?

 

 

7.ヒラヒラヒトヒラ

少し和の空気が漂う曲ですね。

それが相まってか独特の切なさが感じられます。

 

この曲に関してはちょいと理解するのが難しそうなので僕なりの解釈を書いておこうかな。

 

自分の好きな相手は咲き誇った状態で、自分はまだ蕾の状態です。

「光求めてた」という歌詞があるように、蕾が花開くのには光が必要で、その光こそがアナタだってことを言いたいんだと思います。

ただ「求めてた」で終わるところから、やっぱりこの物語はハッピーエンドではなくて、ちゃんと失恋した歌なんだなぁと思います。

 

切なくも趣のある歌だなぁと思いました。

GReeeeNてこういう曲つくるのうまいよねぇ〜。

 

 

8.詠ミビトシラズ

この曲はけっこう好きな人多いんじゃないでしょうか。

なんというか、GReeeeNらしいし、それでいて落ち着いていて、またノリの良い曲でもあるという、なんとも不思議な曲だなぁと思います。

それぞれにそれぞれの人生があって、この曲ではそれを

「詠」としていて、その人生こそが誰かの何かになっているという、そんな歌かなあと思いました。

誰かの人生と誰かの人生が交わりながら生きていることを思わせてくれる曲ですね。

 

SOHさんの低音ちゅき。

 

9.あの日のまま

これも失恋ソングですね〜。

なんか曲調は温かい感じがするんですけど、歌詞を見るとしっかり失恋してて、なんとも不思議な気持ちです。

この曲の歌詞を見ると時間の経過と共に気持ちの変化があって、それがおもしろいですよね。

特にラスサビの所なんかはとても人間らしいというか、共感できます。

 

君といつの日か逢えた時に 笑顔でありがとう

言えるくらいの明日を作ろう だから今日だけ泣いて

君といつまでもどこまでも 一緒にいたかったよ

いつか今日すら忘れてしまうの 君と見た景色と共に

上の2行はちゃんと終わらせようとしてるのに、下の2行ではまだ未練がある感じが、忘れたくても忘れられない気持ちが出ていて切ないですね。

 

あと、ラスサビのnaviさんやべえ。

 

10.自分革命

ここから先はアルバム前にリリース済みですので少し内容を軽めにしていきます。

 

この曲はとても疾走感がありますよね。

その疾走感の中に伝えたいメッセージがたくさん詰まっていて、耳にも心にも響く曲かなと思います。

サビの「なんなん?さんざん、そうなんだ」のフレーズがすごくキャッチーで耳に残りやすくて好きです。

あと「自分革命」っていうワード自体がけっこうパワーがあって、その時点で惹かれる曲かなと思います。

 

11.流星のカケラ

人の出逢いを星で喩えるっていうGReeeeNらしさと星影のエールに似た雰囲気を持っている気がします。

流星のカケラっていうフレーズが何ともGReeeeNらしいというか、なんというか。

そんなワード普通出てこないし、使いこなせないなぁと思いましたね。

 

12.バケモノ

この曲はタイトルにもあるようなバケモノっぽいイントロから始まります。

現代ではあらゆるものがカテゴリー分けされて、ふるいにかけられて、そこから落ちたら失格の烙印を押されるような世界です。

でもそんなものにとらわれずに、それを突破していくようなエネルギーに満ちた曲かなと思います。

 

なんとなくだけど、ライブでやりそう…

 

13.味方 - ロッキンビーツ ver.

今回のバージョンは映画で流れたほうのバージョンらしいですね。

何気ない日々の会話が幸せなんだと気づかせてくれる1曲です。

キミのダメなところ1万個知ってる

キミはボクのだめなとこ10万個許してる

この歌詞がすごく好きで、やっぱりお互いを思い合える関係っていい所だけじゃなくて、ダメなところをいかに許せるかとか、いかに叱ってあげられるか、みたいなところになってくるのかなって思っていたりするので、ここはいい歌詞だなぁと思います。

 

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まとめ

今回のアルバムは今のGReeeeNだからこそかける曲が多かったのかなと思います。

デビューしたての時では出せなかった深みとか、説得力みたいなものがある気がしました。

 

あとは、今回のアルバムは比較的4人全員の声が聴けるということで、それぞれの推しの声がきけてファン歓喜のアルバムだったんじゃないでしょうか。

色んな歌い方してて良かったですよね〜。

 

改めて、今もなおファンの心をつかむ曲を出し続けていることに尊敬と感謝しかないです。

 

改めてGReeeeN最高だなと思いました。

 

これまでのこと、これからのこと

皆さんお疲れ様です。

 

今回は皆さんにとってはどうでもいい話で「知らねーよ」ってことだとは思うんだけど、自分にとっては大事なことを書こうと思います。

 

 

結論から言うと1/22のアリーナが終わったらGRCReWさんと絡むのを終わりにしようと思います。

もちろんこれまでの関係もあるから全くの0にはならないとは思うんですけど、基本的にはもう無いかなと。

 

主な理由としては、自分のやりたい事のために人を傷つけるのは違うなっていうのと、自分の逃げ場になってしまうから。

 

ざっくりそんなところです。

こっから先は本音を書きますが、長くなると思うので興味ない方や結論知れたので満足な方はここでブラウザバック推奨です。

ていうかほとんどの人読まなくていいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、いろいろ書いていきます。

 

何から書いていいかわからないけど、やっぱ1番は集会所のことかな。

これについて書かないと何も始まらない気がします。

きっかけは何だったかな。

始めるきっかけはわたわたと何となくって感じで、集会所でも何度か話していると思うんですけど、そのもうちょっと前のところでのきっかけがあるんです。

けとるさんと話してて、GReeeeNに関する活動を自分も何かしたいと思ったことがきっかけだった気がします。

その時にGReeeeN用のTwitterアカウントも作ったりしたと思う。

そこからものすごい速さでわたわたと仲良くなって集会所を作る流れになりました。

その時はGReeeeNを語りたいだとか、GReeeeNの良さをもっと知りたいみたいなとても純粋な動機だったと思います。

 

そんな集会所も時間が経つにつれていつしか“居場所”になっていました。

東京にきて近くに遊べる友達もいなかったし、話す場所なんてここくらいで、ほんとに心の拠り所でした。

だからこそここに依存してた自分がいたしここに逃げてた自分もいた気がします。

なんでこんなことを言うかというと、プライベートとか仕事とか、いろんな事が基本的にあんまりうまくいっていなかったからなんです。

仕事で嫌なことあっても、少し病んでいても、集会所にくれば楽しいし嫌なことを忘れられたから、気づいたら通話開いて楽しかったけど逃げてもいたのかなって思います。

 

別にそれくらいならぜんぜん良かったんだけど、この前あったしんくんが未成年で飲酒しちゃった件とか、郡山でけとるさん関連でトビさんとか周りの人に迷惑かけちゃったこととかいろいろ含め、自分はここに居るべきじゃないと思って集会所を抜けることにしました。

勝手に何も言わずに抜けたのは本当に申し訳ないです。

抜けることをみんなに言うと理由言わなきゃ行けないし、そういうのからも逃げました。

ごめんなさい。

 

集会所が大好きで大事にしてたからこそ、しんくんが飲酒して、それによってももことみーちゃんが抜けた時猛烈に反省したし後悔しました。

郡山でけとるさんに会いたくないという理由からトビさんとかその周りに迷惑をかけたけど、これからもこれを続けるのか?という疑問と、自分のわがままなところに腹がたちました。

 

GReeeeNを語り合いたいとかもっと知りたいみたいな動機で始めたのに、意思の弱さとか、自分の甘さのせいで人傷つけていいわけないです。

 

自分で作った場所で、自分が1番しっかりしていなきゃいけなかったのに、1番人に迷惑をかけていたのは自分で、そんな情けなさがいまもずっとあります。

自分はあの位置にいるべき器の人間じゃなかった。

 

とにかく、こんなことが二度とないように生きていこうと思います。

 

 

そして、なぜGRCReWさん全般と絡むのをやめるのか、ということについて。

ひとつはケジメじゃないけど、集会所であんなことしておいて今更新しい人と仲良くする気になれないってのがひとつ。

もうひとつは、Twitterを見てて自分の中で許せないラインを越えてるツイートをちょくちょく見かけるし、ライブであった人とかにもこの人ちょっとなって思うこともあります。

その中で自分の中での許せないラインを越えてこない人を見極めるのがとても難しいからです。

今までそこで仲良くなっちゃって後からこの人無理だってなるのが結構多かったので、そこはもう諦めた方がいいんだなと思いました。

GReeeeN好き同士だから、最初は楽しく話せちゃって仲良くなりやすいんだけど、そっから先があれれってなることが多いです。

別にGRCReWさんじゃなくても友達はいるし、むりにそこで仲良くなる必要は無いのかなと。

理由はそんな感じです。

 

 

あとは今自分は自分のことで精一杯というかなんというか。

仕事のこととか、今後の生活のこととか、いろいろクリアしないといけない問題がいろいろあるので、まずはそこを何とかしないとなと思っています。

それをクリアしないことにはフラットな状態で人と関わることができない気がしているので、そこは個人的に頑張らないといけないところですね。

 

 

ここまで読んでいただいてありがとうございます。

ここまで読むと今更グチグチ言ってて「こいつめんどくせーな」ってなると思うんですけど、自分の気持ちを整理するためですのでお許しください。

 

それでは。

 

「自分らしさ」という罠

皆さんお疲れ様です。

かなり久しぶりの投稿になりました。

きっと文章も下手くそになっていて読みづらいかと思いますが、お許しください。

 

今回はまた例のごとくわたわたがnoteに投稿したのでそれについて書いていきたいと思います。

 

わたわたの記事⬇

 

それでも自分を必要としてくれる場所で|サクラサク @grcrew_wata #note https://note.com/watay_sakusaku/n/n5e67a5b51ce8

 

気づかぬうちに大切なものをなくさないように|サクラサク @grcrew_wata #note https://note.com/watay_sakusaku/n/nb9465d68f769

 

一瞬の裏切りよりも大切なもの|サクラサク @grcrew_wata #note https://note.com/watay_sakusaku/n/n987380d85df0

 

 

一気に3つも投稿していて、さすがのともきくんもびっくらぽん!って感じです。(?)

 

はい。

 

で、今回は「自分らしさ」について書いていこうと思います。

この3つの記事に再三でてくるのが「自分らしさ」というワードです。

どうやらわたわたは「自分らしさ」を大切に生きているみたいです。(知ってた)

 

ただ僕はこの「自分らしさ」を大事にする生き方は少し否定的です。

理由は2つ。

・「自分らしさ」は誰かが(自分で)決めるようなものではないと思うから。

・「自分らしさ」を意識しないと生きられないならそれはもう「自分らしさ」じゃないと思うから。

です。

 

1つずつ説明していきます。

まず1つ目の方に関してですが、自分で思っている「自分らしさ」、誰かが思っている「自分らしさ」はあまりにも不正確だなぁと思うんです。

その自分らしさが憧れや願望からくる虚像の可能性もありますよね。

「こうなりたい」とか「こうでありたい」とか。

それってもう「自分らしさ」とは呼べないと思いませんか?

 

それから2つ目。

「自分らしさ」を意識している時点でもうすでに自分らしくないんじゃないかと思うんです。

辞書には「自分らしさ」についてこう書いてあります。


「自分の特徴や性質を十分に発揮するさま、意識して抑制するのではなくあるがままの姿でいるさま、などを意味する表現。」

 

「意識して抑制するのではなく」って書いてあるのに、、、と思っちゃうんですよね。

 

きっと「自分らしさ」っていうのは生きていたら自然と出てくるもので、誰かが決めるものでも、意識するものでもないんじゃないかと思います。

もしかしたら「自分らしさ」にこだわる人は「自分らしさ」を良い物だと思いすぎているのかもしれないです。

「自分らしさ」の中には自分の弱いところも含まれていると思っていて、もし仮に自分の大切なモノを守れなかったとしたらそれは自分の弱さで、それは自分らしさです。

 

自分が他人になれなくて、他人が自分になれないんだから、生きていたらそれだけで十分自分らしく生きています。

 

これをわたわたが読んでいるかわからないけど、これを読んでどう思うかが僕としてはとても気になるところです。

これを読んで尚、「自分らしさ」を大切に生きるのか、どうなのか。

その選択は自由だしそれこそ価値観の違いなので、これもまた「自分らしさ」なのかもなぁと思います。

 

今回はこれくらいで。

ばいばい。

 

 

 

SUPER BEAVER/らしさ

https://youtu.be/wol-XHb1VhM

 

 

きいてみてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近のワンピースまじでえぐい。

ちなみにこれは高校三年生の夏に撮った写真。

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儚さが僕らを惹き付ける

第104回全国高等学校野球選手権大会、ぞくに言う甲子園大会が昨日終わりました。

仙台育英高校が優勝したのですが、これが東北勢初の優勝みたいです。

 

自分自身も高校野球を経験した身だし、今も高校野球のファンだから毎年のように甲子園を見てるんだけど、今年の優勝校の仙台育英の監督のインタビューがものすごく良くていろいろ考えさせられました。

そのインタビュー内容ですが…

「(高校の)入学どころか、おそらく中学校の卒業式もちゃんとできなくて、高校生活はなんというか、僕たち大人が過ごしてきた高校生活と全く違うんですが、青春ってやっぱり密なので、(行事など)そういうことは全部ダメだダメだと言われて、活動していてもどこかでストップがかかって。どこかで止まってしまうような苦しいなかで、本当に諦めないでやってくれた。でもそれをさせてくれたのは僕たちだけじゃなくて、やっぱり全国の高校生のみんなが、本当によくやってくれた。例えば今日の下関国際さんもそうですが、大阪桐蔭さんとか、そういう目標になるチームがあったから、どんな時でも諦めないで、暗い中でも走っていけた。本当にすべての高校生の努力の賜物で、ただただ僕たちが最後にここに立ったというだけなので、ぜひ全国の高校生に拍手してもらえたらなと思います」

めちゃくちゃ良くないですか

 

とにかく色んな意味で今回の大会は最高でした。

また次の甲子園を楽しみに待ちたいと思います。

 

 

で、こっからタイトルの回収に入るんだけど、高校野球ってすごく短いんですよ。

だいたい2年半くらい。

プロ野球は長い人は20年とか続けるのに、高校野球は2年半。

しかも時間もないしまだ高校生だから野球も未完成なんですよ。

でも毎年その未完成な野球に僕らは惹かれるわけです。

それはいったい何故なのか。

僕はやっぱり全力だからだと思うんです。

ただこれを言うとほかの野球が全力じゃないみたいじゃないですか。

そうじゃなくて、高校野球って負けたら終わりなんですよ。

その終わりがあるっていうことが他の全力とは違うなにかを醸し出している気がします。

 

この儚さみたいなものが僕らを惹き付ける要因で、きっとこれは高校野球に限った話じゃないんだろうなとも思います。

 

例えば、人に寿命がなかったら僕らは人を好きになれるのだろうかとか思います。

終わりがあるから、時間に限りがあるからできるだけ好きな人と一緒にいたい思うけど、それが無限だったんなら時間の価値はもっと低くて、それでいて一緒にいたいと思う人の価値も下がります。

何かが終わることは哀しいことだけど、でも終わりがあるからこそ歓びがあるんだと思います。

 

 

僕らの時間は限られています。

だからこそ限られた時間を大切にしたいですね。

 

 

今回これくらいで。

ばいばい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どう?ポエマーなれそう?

違うからおもしろい

今回もわたわたがnoteにて記事を投稿していたのでそれを読んで思ったことを書いていこうと思います。

なんか毎回恒例のようになってきましたが、自分にとっても考えるキッカケになるしブログを書く動機にもなって丁度いいと思うのでこれを続けていこうと思います。

 

本題に入る前にまずはわたわたの書いたやつ読んできてね。

描き続ける|サクラサク @grcrew_wata #note #私は私のここがすき https://note.com/watay_sakusaku/n/ndf07899e8faa

 

 

ではでは本題に入ります。

最初に言っておくと、僕はわたわたの考えとは違います。

ハッキリと違います。

例えばこの部分。

勝手なイメージですけど、大人って「夢を見よう」とか言うのに、具体的なアドバイスをしてくれることが少ない気がします。
特に「どうやって夢を見つけるのか?」
この問いに対する答えが腑に落ちたことが僕にはありませんでした。

「どうやって夢を見つけるのか?」と書いていますが、僕は夢は見つけるものではなくて見つかるものだと思っています。

 

そもそも僕は「夢」という言葉が少し嫌いで、それはなんというか、小さい頃から「あなたの夢はなに?」という問に対して明確に答えられたことがないからかもしれないです。

「夢」という言葉がコンプレックスというか、なんというか。

 

そんな自分が嫌で夢を探し続けてきて、見つからなかった結果出た答えは「夢は探すものではなくて見つかるもの」です。

 

あと僕がこの考えに至った要因として忘れられない言葉があります。

僕がまだ大学生の頃の話ですが、高校時代にお世話になった先生に会いに行ってこんなことを言いました。

「やりたいことが見つからないです。」

そうしたら先生は

「別に今はなくてもいいんじゃない?」

と言いました。

続けて

「その歳で夢がある人は恵まれていると思うよ。」

とも言いました。

 

なんかこの言葉がずーっと自分の中に残っていて、「夢」という言葉を耳にする度この言葉を思い出します。

その時の自分はやりたいことがない現状に焦りを感じていて余裕もなかったので全くその言葉を受け入れられなかったのですが、今思うととても貴重でありがたい言葉を貰っていたんだなと思います。

 

まあ、なので僕の「夢」に対しての結論は、なにかに熱中したとき、その先にあるのが「夢」です。

無理やり探すものでは無いと思います。

 

 

で、今回僕が言いたかったことって「夢」に対する考え方じゃなくて、意見や考え方が違うのって面白いよねって話です。

 

「夢」に関して言うと、わたわたは依存気味というか「夢」を凄く大事にしている。

それに対して僕は「夢」に関しては少しドライです。

 

なぜわたわたがこんなにも「夢」に対してこだわりが強いのかは本人にしか分からない事ですが、僕と比べて考えると少し思うことがあります。

それは自分が好きだということ。

わたわたは凄く自分が好きです。

それは言葉の節々から感じられて、正直僕はそれが羨ましい。

わたわたは自分のために行動できる人間で、僕はあまりそれが得意じゃない。

僕も自分のためとか言いつつも、結局のところ誰かとの時間とか誰かのためとか、そういったことが大好きで、それだけなら聞こえがいいんだけれど、自分を卑下するような所があって、それは良くないなと思っていたりします。

 

きっと僕とわたわたはそういう根本的なところから違っているんだと思います。

だけど初めて話した時からなんか仲良くなれそうな感じがしたし、気が合うなぁと思っていました。

ここら辺がなんか面白くて、わたわたと話す時も「俺はこう思う」の繰り返しなんです。

僕はこの気が合うけど考え方が違うっていうこの感じがたまらなく好きです。

 

なんか世間では「論破」とかなんとかが少し流行っていたりしましたが(多分)、意見なんて違うからおもしろいわけで、「君はそういう考えなのね」「僕はこういう考えだよ」が通用する世界になって欲しいなと思います。

 

 

 

久しぶりに書いたら少し疲れましたが、久しぶりにいい内容のものが書けたんじゃないかなと思います。

 

今回はこのくらいで。

ばいばい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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僕らの“夏”

皆さん今年の夏はいかがお過ごしでしょうか。

今年も相変わらず暑いので熱中症には気をつけましょうね。

 

あとコロナもまた流行ってきているみたいなので感染対策もしておきましょう。

 

そんなこんなで7月もあと少しで終わります。

まだまだ夏真っ最中だと思いますが、ここらで少し“夏”について書いてみようかと思います。

 

僕自身“夏”は嫌いで、暑いし、汗かくし、虫が増えるし、なんかもう最悪です。

だけど“夏っぽいこと”は好きで、スイカ割りとか憧れるし花火とかも好きです。

「〇〇の夏」とか「〇〇にとっての夏」みたいなのが大好きで、例えば高校球児にとっては甲子園を目指す選手権大会とか、そういったもの。

それぞれにそれぞれの夏があって、それぞれにその夏を楽しんでいるこの感じがたまらなく好きです。

 

あと、夏ってなんか独特の雰囲気をもっていて、なんだろう、憂いみたいなものがある気がする。

夏はなんとなく終わるものが多い気がします。

冬に暖かさを感じるように、夏もその冷たさとか哀しさとか、そういったものを感じられる季節なのかもしれないですね。

 

 

今年の夏も“夏っぽいこと”を楽しめたらなと思います。

 

とりあえず早く夏終われ。

 

僕は風が気持ちいい季節が好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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「他人に期待しない」を考える

今年の夏が暑すぎて夏の間だけでも南極に住めないかなと考えているともきです。

#考えが極端すぎる

 

 

さて、今回は「他人に期待しない」ということについてです。

これについて書くキッカケはわたわたのnoteです。

コチラ⬇

「他人に期待しない」なんて僕には辛いからさ|サクラサク @grcrew_wata #note #私は私のここがすき https://note.com/watay_sakusaku/n/nbaaf1011f3d6

 

この記事については「わたわたらしいな」というひとことに尽きます。

人それぞれ考え方は違うので、そういう考え方もあるのねってことですごく読んでいておもしろいです。

ただ僕は少し考え方が違うので、僕も「他人に期待しない」ということについて書いてみようと思います。

 

 

そもそもなのですが、「他人に期待しない」という文章では情報が足りなすぎると思うんです。

“他人”って自分以外の全ての人が当てはまるわけで、それを一緒くたにするのがまず違うんじゃないかと。

他人といっても、友達から上司から後輩からいろいろいるわけで、それぞれ関係性が違います。

そういった関係性含めひとことにまとめるのは難しいのですが、ざっくりとした分け方をすると、、、

立場が自分以上の人には期待しません。

上司や先輩、友達とかですね。

逆に自分より立場が下の人には期待します。

後輩とかです。

 

なぜかと言うと、自分以上の立場の人に期待することって「人まかせ」になる事が多いなって思うんです。

自分より立場が上の人の場合ですが、大体の場合何かを変えられる立場にあります。

上司とかになると特に。

会社に不満があるとか、そういったときに上の人に期待して変わらなかった時、自分はその人のせいにするのか?ってことです。

なんかそれはしたくなくて、だったら自分で変えられるようになりたいって思うんです。

 

逆に自分より立場が下の人に関しては思いっきり期待してあげたい。

自分の後輩ともなればやはり自分は何かを教える立場にあります。

それは先輩としての義務のようなものだと思っていて、自分が先輩に何かを教わったように、自分も後輩に何かを与えてあげたいと思うんです。

で、その後輩が成長して成功することを願うって感じ。

 

難しいのは立場が同じ人ですね。

友達とか。

これに関しては「未来には期待する」といった感じです。

決して「〇〇してくれるだろう」みたいな期待の仕方はしないです。

ただその人が挑戦していることとか、そういったことに関しては思いっきり期待してあげようと思っています。

これは応援とは違っていて、期待した分期待に応えて貰えなかったときにはショックだったりしますが、やっぱり期待してこその友達だろうと思うんです。

友達が期待してやらないで誰が期待してあげるんだっていう気持ち。

これが友達に対する期待の仕方です。

 

以上が僕の「他人に期待しない」ということについての答えです。

誰かに期待するということは時に人まかせになったり甘えに繋がる気がしていて、そうならないために自問自答しながら生きていきたいなぁと。

 

そして大切な友達の未来には思いっきり期待してあげてその未来を一緒に迎えてあげたいな、と思うと同時に自分も期待される人でありたいとも思います。

友達ってそういうもんだろって思ってたりします。

 

傷を舐め合うような関係じゃなく、それぞれに頑張り合うような関係が好きです。

 

今回はこれくらいで。

ばいばい。

 

 

 

 


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