ともきの日記

日々の生活で思うことをダラダラ書きます

2024年の抱負とわたわたわたわたわたわた

皆さんお疲れ様です。

 

今回は年も明けましたので、新年の抱負でも書いていこうと思います。

あと、先に言い訳しておきますが、新しいキーボードになったので打ち間違いが多いです。

一応見直しはしますが誤字があってもお許しください。

 

 

早速本題に入りましょう。

今年抱負です。

ズバリ!

「余裕を持って過ごす」です。

 

去年の自分は特に上半期ですが余裕のない期間が続いていました。

余裕のなさはいろいろな判断力を鈍らせます。

今冷静になって考えると、もっと違う選択肢があったのになと思うことがたくさんあります。

自分を客観視して自分というものを確かめながら生きていきたいと思います。

 

あんまり気張りすぎてもよくないので新年の抱負はこのくらいにしておきます。

 

 

で、ここからはわたわたのnoteで書いていたことについて書いていこうと思います。

note.com

これを読んだことを前提に話しますので、先にこれを読んで下さい。

 

これを読んだ僕の感想は、無理に言葉にしすぎているんじゃないかなって思いました。

自分で書いた文章が他人事のように感じてしまう瞬間がある

これの原因は自分の感情や思考をまだ言語化できていないのに自分のボキャブラリーの中で必死に表現しようとして、でもそれがちゃんと自分の納得のいく言葉に変換できないまま言葉にしてしまったからなのかなと。

そして多分だけどわたわたは自分の感情を何か決まった言葉にしたい人なのかなとも思いました。

わたわたの文章を見ていると「期待」とか「不安」とか「感謝」とか、それぞれにしっかり名前がついているような気がします。

ほかにも「  」で囲われたワードとかもそうだと思います。

 

確かに文章の書き方として、最初にテーマを決めて書くのって読みやすいし書きやすいんです。

で、自分の感情や思考も言葉がはっきりしていればしているほど相手に伝わりやすいんです。

ようは、まとまった文章になります。

 

でもそこに温度感を乗せるのは難しいです。

無理ではないですが技術が必要です。

 

しかも感情を表現するのに単語一つでは足りないです。

「嬉しい」という感情ひとつとっても、嬉しさの度合いや種類、その感情に至ったプロセスまで何もかもが違うのにそれを言葉一つで何が伝わるんだろうと思っていしまいます。

 

それと多分ですがnoteというものの形式も少し悪さしているような気がしています。

noteって鍵垢みたいなものを作れないので、誰が見るかわからないから勝手に丁寧な文章になります。

しかもしっかりタイトルをきめて書くので、僕みたいなダラダラと書くことって難しいんですよね。

なのでより読みやすい文章を意識した結果今回みたいな悩みに繋がったのかなと思います。

 

勘違いしたくないのは、「読みやすい文章」=「いい文章」ではないということです。

その文章を書いている人の人柄とか、その文章を書くまでの背景とか、そういった色々な要素が積み重なって初めていい文章になります。

 

きっとわたわたは読み手の気持ちをものすごく考えるタイプだと思うので、その優しさが違和感を生んだと思います。

 

ざっとここまで違和感の原因を推察しましたが、じゃあ一体どうしたらいいのかって話ですよね。

僕からの提案は、もう少し話し言葉に近い文章にしてみるってのはどうだろう。

あとは言葉にあらわせないっていうことを文章にしてみるとか。

 

そうするともう少し温度感が出るんじゃないかと思います。

僕なんて読みやすい文章には全く必要のないものばかりです。

この前のわたわたからの試練でも「で、えーっと、あの、」とか入れてて、そんなん絶対いらないじゃないですか。(笑)

でも書き手としてはこういうので温度感とかをくみ取ってもらいたいんですね。

特に僕のブログを読む人は僕と話したことがある人ばかりだから、いかに文章を読んでいるときに僕が想像しやすいかというところも大事にしています。

 

僕の一番の理想の文章は人の顔が見える文章です。

それができたら最高だよね。

 

とにかく、わたわたが納得できる文章が書けるように今はたくさん悩んでほしいなと思います。

がんばれ~~~~~

 

僕も負けないように練習しておきます。

 

今回はこのくらいで。

ばいばい。

 

2023年を振り返る

皆さんお疲れ様です。

2023年も今日で最後ということで、今年1年の振り返りをしていこうと思います。

 

今年1年の僕の流れをざっくり話すと夏までは東京にいて、その後北海道に帰ってきました。

仕事も変わったりして自分にとっては大きな変化があった年でした。

 

振り返ると東京にいた頃がはるか昔のことように思えて、自分でも驚いています。

それくらいここでの生活に慣れたということなのかもしれないです。

 

そんな変化があった1年に自分が何を思っていたのかを書いていこうと思います。

 

まずは東京にいるときですが、かなり精神的に余裕が無かったような気がしています。

仕事もプライベートもどっちもうまくいっていなくて、少し暗かったかなと思います。

その暗さを隠すように人との連絡もとらなくなっていました。

 

そんな状況から抜け出すべく仕事をやめ、地元に帰ってきました。

帰ってきてからは仕事が見つかるまでは不安と焦りがありましたが、仕事が決まってからは少し余裕ができました。

余裕が出来たからこそ、余裕がなかった時の自分を客観的に見ることができるようになったと思います。

今振り返ると余裕がなかった時の自分の言動に対してものすごく後悔しています。

もっと人の気持ちを考えるべきだったなとか、いろいろ。

後悔が悪い事だとは思いませんが、これを繰り返さないようにしていきたいです。

 

僕は今まで人に恵まれていると思っていたし、今でも思っているから人を大事にしたいと常々言っていますが、今年に関しては自分と向き合う時間がとても多かったと思います。

 

これからの自分の人生をどうしていきたいのか、今の自分の悪いところはどこなのか、考え出したらキリがないです。

自分で自分を否定していく毎日でした。

でもある日イチローさんにお悩み相談しているイベント?かな?がありました。

 

↓↓↓記事全文↓↓↓

イチローにお悩み相談 自己肯定感に疑問符「すっごく気持ち悪いこと」 この言葉に抵抗があったワケとは(日テレNEWS NNN) - Yahoo!ニュース

 

僕が気になったところは

「自己肯定感強い人、ストレスフリーで楽しそうに仕事している人、それってどうなのか。いいなと思うけど、その人たちは人としての厚みはうまれるのか?瞬間、瞬間はいい仕事ができるのかもしれないけど、自己肯定感が高い人はおそらく今の風潮では否定されない。つまり、自分でも振り返らない。いいことしか考えない。そうなったら、人間ですから弱い生き物なので基本。僕は堕落すると思います」

というところ。

人としての厚みという言葉が自分にすごく刺さって、この悩めている現状がすごく健康的な状態なんだと思えてすごく気が楽になりました。

たまに自分でも考えすぎてるのかな?と不安になることもあったのですが、それも全部無駄じゃないんだと思えた記事でした。

 

この孤独な戦いはこれからも続いていくと思うけど、その分強くなれると信じて頑張っていこうと思います。

 

 

 

そして皆さん、一年間お疲れ様でした。

生きることはとても難しくて疲れることです。楽しいことばかりじゃない日々を365回もこなしたわけです。

1年の最後くらいは自分を労ってあげて欲しいなと思います。

 

また来年よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

と、ここで終わるのも寂しいので、今年1番心にグッときたワードを紹介しようと思います。

今年1番心にグッときたワードは…

「生きてると死んでないの違う」でした!

 

最果てのパラディンという漫画でのセリフです。

アニメにもなっているので是非見てみてください。

なろう系なのでもとは小説です。

小説がいい人は小説でもどうぞ。

 

生きてると言えるように頑張りたいですね。

 

では。

わたわたからの試練1

皆さんお疲れ様です。

 

今回はわたわたから「これについて書け!」というお題がきましたので、それについて書いていこうと思います。

 

 

 

早速ですがわたわたからきたお題が、

「なんで人って関係性に名前をつけたいのか?」です。

いろいろ考えてみたのですが、僕的には「名前があったほうが便利だから」という結論に落ち着きました。

例えば、わたわたと2人で歩いてて、知り合いとばったり会って『この隣の人は?』って聞かれた時に関係性に名前がなかったら不便じゃないですか。

ここで“友達”とパッと言えたら楽だしわかりやすいですよね。

多分最初はここからスタートしていて、物に名前があるように関係性にも名前があった方が便利だから名前がついたと思うんですね。

 

で、わたわたから聞かれたのは「普段関係性って部分に目がいくタイミングはどんな時なのか」です。

で、えーっと、あの、元も子もないこと言うんですけど、関係性に目がいったことないです。(笑)

今回聞かれて初めて考えました。

僕自身関係性というものについてあまり執着がないというか、こだわりがないです。

だから人生で“親友”って言葉を自主的に使ったことは無いし、友達に対してこの人は親友だなとか思ったこともないです。

 

僕の考えとしては人間関係はその人のことをどのくらい想っているかだと思うし、想っているのを可視化したとしたらきっとそれぞれ違う量や形をしていると思うんですね。

それを親友だ何だと名前つけるのも違う気がしていて、要はその想いが伝わっていればそれでいいのかなと。

関係性の名前を気にする人はその見返りが欲しいのかもしれないです。

こっちが与えたものに対してこれくらい返して欲しいという期待みたいなものがあるんだと思います。

でも僕はこと友達という関係性においてはそういうものは必要無いと思ってるし友達ってそうじゃないよなとも思ってるので、やっぱり人間関係を分類したりはしないです。

ただ、便利だし必要だから“友達”とか“上司”とかそういう大きな括りでの名前は使います。

けど、人間関係に特別な関係を作って名前を付けるようなことはしないって感じです。

 

上手く言えてるか分からないけどこんな感じかなあ?

答えになってるか分からないので聞きたいことがあれば質問ください!

 

今回はこのくらいで。

ばいはあ。

戻らない時間を生きている

皆さんお疲れ様です。

眠れなくていろいろ考えていたことを書いてみようと思います。

いつもの如く終着点は決まっていません。

お時間ある時にどーぞ。

 

 

 

皆さんが人生の中で後悔していることはなんでしょうか?

僕は大切な人が離れていった時と放してしまった時のことをすごく後悔しています。

大切と言っておきながらちゃんと大切にできなかったこと。

大切の意味もちゃんとわからなかった未熟さを今でも本当に恨んでいます。

これを書きながら泣いている僕は弱い人間でしょうか。

でも、泣けるほど大切な人だったんだと、その気持ちに偽りはなかったんだということがせめてもの救いです。

もうこんな思いは二度としたくないので、ここから先の人生は大切な人をちゃんと大切にできる人間になりたいと思います。

 

皆さんご存知だと思いますが、僕はSUPER BEAVERが好きです。

SUPER BEAVERの曲の中に「儚くない」という曲があって、その中のワンフレーズに

後悔が悪いわけじゃないんだ

その理由がいつも初めてならいい

というところがあって、これはきっとその通りだと思うんです。

人間は間違える生き物だし、後悔してもそれを繰り返さなければいい。

 

でも、それでも、たった1回の後悔がものすごく後を引いていて、「もっとこうしておけば良かった」「もっとああしておけば良かった」がずっと頭の中にあります。

 

歳を重ねるごとに大切なもの・人が増えていって、それはとても素晴らしいことなんだけど、増えた大切の分だけそれを守る強さも必要なんだと思いました。

 

僕なりに“強さ”とは何かをいろいろ考えて出した答えは、“いかに選択肢を多く持てるか”なのかなぁと。

この答えが合っているかはわかりません。

でも、自分がピンチの時、誰かがピンチの時、より多くの選択肢の中から最前の手を打てたら、守れるものが多いんじゃないかなと思いました。

それを増やす手段はお金だったり、知識だったり、立場だったり、色んなものがあると思います。

そうしたものをコツコツと積み重ねていって、いざと言う時に自分であろうと他人であろうと助けてあげられる強さを身につけていかなきゃなと。

気づいからじゃ遅いとは本当にその通りで、準備って大事だなと痛感します。

数年後にどういう人間になっているか、自分でも楽しみです。

 

 

さて、ここからは話を変えます。

最近わたわたがnoteの更新してくれないので、なんか書け!という気持ちを込めてわたわたについて書きます。

わたわたについて書くというか、わたわたと僕の違いについて書きます。

 

まず、わたわたと僕の共通点としては、思考を巡らせる時間が長いこと、人の顔色を伺うこと、とかかな?

多分他にもあると思う。

だからそういう自分の頭の中を語り合う時間が楽しいし、人の感情を察する能力は高い方だと思います。

 

で、違いについてなんですが、もちろん他人なのでほとんどが違うんですが、根本的に違うことは、“誰のために生きるか”という部分です。

わたわたは自分のために生きる人。

僕は他人のために生きる人です。

もちろんこれは善し悪しじゃないです。

特徴です。

 

僕がわたわたを尊敬できる理由はそこで、自分の夢とか目標のために一生懸命頑張れるんですよ。

僕は無理です。

夢とかあったことほとんどないし、高い志とかもない。

ただ人のために何かをするのは何も苦じゃないし、その人が喜ぶならなんでもできる。

でも、その相手がいないと自分がなんのために生きているのか、存在意義がわからなくなります。

これが僕の弱点です。

対して、わたわたの弱点は自分の夢を見失った時とかそういう時ですね。

そういう時のわたわたはすごく脆くなると思います。

 

ここまで勝手にわたわたのこと分析して書いていますが違ってたら教えてね(笑)

 

話を戻すと、そういうお互いの違うところがあって、自分にない考えが見えた瞬間に面白くなってくるというか、「そういう考え方があるのね」っていう楽しさがあるんです。

また時間ある時に無限に話したいなと思います。

 

これをもとにわたわたなんか書いてみて!

よろしく!

 

 

では、話を変えます。

また問題提起から始めますが、皆さんは人の言葉をどれくらい信じられますか?

僕はあまり信じてないです。

というのも、言葉ってなんとでも言えるじゃないですか。

嘘をつく人だっています。

だから僕が信じるのはその人の行動です。

その人の言葉と行動が噛み合った時に初めて信じられるようになります。

言葉単体で信じることは僕には無理です。

 

最近これを実感する出来事があって、人を信じないのはよくないけど、信じる人をちゃんと選ぶ目というか基準を持っておくことは大事だなと思いました。

 

 

ちょっとここまで真面目な話をしすぎたのでここらでともきくんのおちゃめなエピソードを書いて場の雰囲気を和ませようと思います。

 

先日仕事が終わって帰る時にシャープペンをペン立てにしまおうとしたんです。

モニターの右側にペン立てがあって、モニターを見ながら横目にペン立てをみてそこにペンを差したんです。

そうしたら「カランッ」という高い音がなりました。

ペン立てはプラスチック製です。

何かがおかしい。

そう思って見てみると、なんとペン立てではなく、お茶の入ったマグカップにペンをさしていました。

(ゝω・)テヘペロ

 

こちらからは以上です。

 

 

 

また気が向いたら投稿していくので時間ある時に読んでねー。

ばいばい。

 


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そば美味しかった


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皆さんお疲れ様です。

そしてこのブログで会うのはお久しぶりです。

元気してましたでしょうか?

僕はなんとか生きています。

 

特段書くこともなかったのですが、そろそろ何か書きたいなーというよく分からない動機の元書き始めています。

終着点を決めずにダラダラ書いてみます。

お時間ある時にどーぞ。

 

 

 

今年はGReeeeNのライブにも行けず少し寂しい夏をすごしました。

少しというかかなり寂しい夏でした。

夏は就活に時間を費やしてやっとのこと仕事が決まり、少しずつ慣れてきたところです。

来年こそはライブ行きたいなと思ってます。

仕事し始めてから少しずつ生活が安定してきてオタ活も始められそうです。

会いたい人もいるので、そのためにお金貯めようと思います。

名前出しちゃうけど、トビさん結婚したのに何もあげれてなかったり、ゆうきさん彼女できたのにちゃんとお祝いできてなかったりしてるので、そこら辺ちゃんとなんか渡したいな〜って思ってます。

2人がこれを見てないことを願います。(笑)

あとわたわたもわたわたがわたわたする前に会いたいしね。

ここに名前出した人以外もそうだけど、仲良くしてくれてる人たちを大事にしないとなーと思ってます。

 

とは言いつつも人間関係での悩みはずーっとあります。

友人関係でも恋愛関係でもなかなかうまくいかなくて、人と付き合うって難しいなあってつくづく思います。

自分は良くも悪くも自分の中で善し悪しの基準がちゃんとあって、良いことはいい、悪いことは悪いでハッキリ言ってしまうので敵を作りやすいです。

そして1度無理だと思ったら二度と受け付けない体になってしまいます。

僕自身はそれでいいのですが、その無理だと思った人と自分の友達が仲良かったりした時に結構迷惑かけちゃっていて、やっぱりもう少しうまく立ち回った方がいいのかなぁなんて思ったりもします。

でもやっぱり自分の中で譲れないものがあって、人の気持ちを考えられない人は嫌いだし、優しくない人は嫌いだし、自分の大切な人を傷つけるやつは嫌いです。

これをうまくやる方法を誰か教えてください。

ほんとに誰か…教えて…。

 

恋愛に関しては大体の場合僕が全部悪いので、もう誰とも付き合うなよと自分に言いたいです。

てか、なんというか、弱い。

弱すぎる。

人をまもれる強さもないまま人と付き合うから、いつも傷つけて終わらせてしまう。

ほんとにごめんなさいって今まで付き合った人全員に思ってます。

強くて余裕のある人間になるまでは恋愛はやめとこうって思ってます。

(強さとはなにかはまた別の機会に…)

 

 

話変わりますが、最近よく考えることは“幸せ“ってなんだろう?

です。

実は以前こんな記事を書いてたことがあります。

http://www.自分の心の管理法|ともき.com/ @t0m0k1_tomoki

 

ざっくり言うと、「幸せになるための選択を日々していけばいいんじゃない?」みたいなことを書いているんですけど、、、

そもそもこの“幸せ”ってなんぞやと。

なにをもってして幸せなのかと。

難しいよね。

こういう哲学的な話は。

 

僕自身、何かずーっと満ち足りなくて、物足りなくて。

幸せな瞬間はその都度あるんだけど、日常的に幸せだなと思えることってほとんど無いんですよね。

自分にとって何があれば幸せだと思えるのかが全然わからないんです。

友達がたくさんいることなのか、大切な彼女がいることなのか、仕事が充実してることなのか、それとも全く別のことなのか。

目指すべき場所もわからないまま生きているこの感じが、果てなき荒野を歩いているようで、ものすごく不安です。

 

きっとこの先も答えが出るまでずっと悩み続けていくんだろうと思います。

その時間が大事だったりもするので、焦らずゆっくりと答えを出して行けたらなと思います。

 

 

 

まだまだ続きます。

次のテーマは、、、ででん!

「本当の自分ってなんだろう?」です!

これも最近よく考えるのですが、僕の場合人によって話す内容だったり見せる顔がぜんぜん変わります。

例えば、わたわたとかだと割と真面目な話とか哲学的な話をしたりするのに、地元の友達だとバカな事やって騒いだりしてて、自分でも二重人格なのかなと思うくらいです。

でも自分の中で意識的に切り替えてるという訳ではなくて、自然とそうなるんです。

自分でもよく分からないんですけど、地元の友達に真面目なところってあんまり見られたくなくて、このブログ書いていることも言ってないです。

そういうことを考えているうちにどっちが本当の自分なのかを考えるようになってしまって、

、、

きっとどっちも本当の自分だし、人によって話すこと・話せることを選んでいるだけなのかもしれないんだけど、そんな簡単に終わらせられないくらいにいろいろ人によって変わりすぎていて、これについても悩んでみたいなと思ってます。

みんなもそういうもんなのかな?

他の人がどうなのか気になるので教えてください。

 

 

まだまだ終わりません。

次のテーマは、、、ででん!

「おじいちゃんのいびきとおならがうるさい!」です。

僕の家の間取りを簡単に話すと、LDKの隣におじいちゃんの部屋があります。

もう少し詳しく言うとキッチンの隣です。

まあとにかくリビング側とおじいちゃんの部屋の間には壁があって、基本的に音はほとんど聞こえてこないはずなんです、、、

ましてやいびきやおならなんてものは聞こえるはずがないのですが、全部聞こえてきます。 

いやほんとに最初地震かとおもいました。

だってこれ人から出る音の大きさじゃないんだもん。

ほんとに。

信じてないでしょ?

でもほんとなんだよ。

やばいんだって。

まじで。

いやほんとに。

信じて欲しい。

この目を見て?

まっすぐな目をしてるでしょ?

この目を見てもまだ信じられないっていうの?

頼む!お願い!

信じて!

ありがとう。

やっと信じてくれた。

 

とにかくじいちゃんの音がでかいって話でした。

 

 

それからそれから、超重大発表です。

なんと、

なんと、

なんと、

ぼくは野菜ジュースが好きなのですが、充実野菜より野菜生活の方が好きです。


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これ充実野菜ね。

 


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これ野菜生活ね。

で、この野菜生活の紫が一番好きだからみんな覚えておいてね。

誕生日プレゼントはこれでお願いします。

 

 

ふう。

超重大発表やり終えた。

自分に拍手。

👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏

 

 

まずい!

このままだとブログのサムネ?でいいの?

Twitter、、じゃないや、Xにツイート、、、じゃないや、ポストしたときに野菜ジュースがでてきてしまう!

テキトーな写真最初の方に追加してくるから待ってて!

 

追加した!

ついでにタイトルもそばにしよう!

 

 

さて。

真面目な話に戻ります。

(やっぱ二重人格なのか?)

僕の家のテレビは父が好きなので野球を見ることが多いです。

先日、北海道日本ハムファイターズの上沢選手がポスティングによるメジャーリーグに挑戦することを発表したんですね。

ようはアメリカ行きますってことです。

成績はチームの中ではエース級だけど、日本全体でみるとそこまでずば抜けた成績とは言えないかもしれないです。

そんな選手がメジャーリーグに挑戦するっていう話題になったときに、父親が「せいぜい頑張ってねっていう感じなんだよね」と言いました。

これにちょっと腹たって「なんでそんな事言うの?」と言ったら、「どうせ無理でしょ」と返ってきました。

腹たったのもそうだけど、自分の父親がそんなことを言ったことがすごく残念でならなかったんですよね。

人が自分の夢のためにリスクを承知で挑戦することに対して、そんなこと言う人には絶対なりたくないです。

この上なくかっこわるい。

こういう人がきっと世の中のいろんな可能性を潰しているんだろうなと思いました。

 

その時は母親とかもいて雰囲気悪くしたくなかったので言い返さなかったけど、次こんなこと言われたらちゃんと言ってやろうと思います。

 

 

長くなったので今回はこのくらいで。

僕の悩みについて自分の考えや答えがある人はリプでもLINEでも教えてくださいな。

 

ばいばい。

 

誰と付き合うかよりも誰と付き合わないか

皆さんお疲れ様です。

約2ヶ月ぶりの投稿となります。

最近わたわたがnoteの更新をし始めたので、自分もそろそろ書かないとな〜と思ってなんとなく書き始めています。

 

 

次の仕事がどうだとかはまた別の機会に書くことにするので今は置いておいて、今回は人間関係についてすこし。

 

ありがたいことに最近はゲーム関連で出会った人たちと話すことが増えました。

一緒にゲームしたり雑談したり。

とても楽しい時間です。

つくづく自分は人に恵まれているなぁと思います。

その一方でもちろんヤバいやつもいて、どの世界にも一定数ヤバいやつはいるんだと再認識しました。

知りたくなかった事実です。

どの界隈にいても必ずこういうハズレを引いてしまうのはなんでなんでしょう?

仕方のないことなので割り切って考えていますが…。

 

そんなこんなで、考えていたのは人とどういう付き合い方をしていけばいいのかっていうこと。

自分がなぜハズレを引くかっていうのを分析すると、自分の性格がけっこう影響していると気づきました。

というのもこう見えてけっこう人が好きなんですよ。

だからその人ことを知りたいと思ってしまうし、どうしたら喜ぶかとかいろいろ考えてしまうタチなんですね。

そうしているうちに相手のことを良くも悪くも深く知っていくことになってしまいます。

そんな会話をしているもんだから相手に信頼されたりとか、良い人だと思われたりだとかして、その人がより自分を出してくれるようになる。

それって良いように見えてちゃんと悪い側面もあって、そこまでいくと引き返せなくなるんです。

だから「この人と合わない」と思った時に引き返せなくて、我慢しているうちにストレスがたまり、最後に爆発して最悪な別れ方をするっていうのがいつものパターンで…。(笑)

 

これを聞いてなにかを思い出した人もいるだろうし、なにか想像がついてしまう人も居ることでしょう。(笑)

 

そんなことの繰り返しでさすがに学習しろと自分でも思いまして、こんなブログを書いています。

 

とりあえずの改善策としては人と距離を詰めるスピードを遅くするのが良いのかなと。

実際に会うとめちゃんこ人見知りなのですが、通話とかだと陽キャのように話せるので、ネットの人と話す時は気をつけないとなぁと思っています。

 

ちなみに自分と合わない人っていうのは大体決まっていて、相手の気持ちが分からない人です。

こういう人の場合ほんとにブチギレちゃうのでその制御もしないとなぁといったところです。

 

 

 

話変わりますが、最近嬉しい報告をたくさんききます。

彼女できたとか、結婚したとか!

自分の大好きで尊敬する人たちが幸せになっていく様子は僕もとても嬉しいのですが、感情を爆発させる場所がないのでここに書いておきます。

とにかく幸せになってくれ!

 

 

 

 

それじゃまた!

 

 

 

 

 

 

ボクニカノジョハイツデキマスカ…

過去は不確かである

皆さんお疲れ様です。

今回はちょっとした気づきから考えたことをダラダラと書いてみようと思います〜。

 

今日の昼休みはなんとなーく過去のグリモバを読み漁っていました。

HIDEさん中心に読んでいたのですが、やっぱり今の自分にとって大事なことがたくさん書いてありました。

 

今の自分はというと、仕事をやめて北海道に帰るという選択をして、今はその準備段階といったところです。

で、きっとこのあと次の仕事を決めたりだとか、いろんな選択をする場面に出くわすと思います。

その選択の判断基準のひとつとして自分の「過去」があると思っていて、今までの経験値から『これはやめた方がいいな』とか『こうした方がいいな』とかいろいろ考えるわけじゃないですか。

今までの自分だったら失敗がこわくてそれが占める割合がすごく高かったと思うんですね。

 

でも2019年1月29日のHIDEさんのブログを読んで、「自分が今何をしたいのか?」を考えた方がいいと考え改めました。

こっから先の選択の連続を自分はどう進んでいくのか。

その道標はやっぱりGReeeeNにありました。

 

過去は誰かの感情や思い込みによって如何様にもねじ曲がります。

それは自分自身でも。

 

大切にするのと信じるは違うものなので、過去を大切にしながら今を生きれたらなと思います。

 

 

 

 

 

GReeeeN - 約束 × No title - YouTube

 

 

 

 

 

 

追伸

わたわたのnoteの投稿はいつですか?

 

プチ報告

皆さんお疲れ様です。

今回はちょっとした報告です。

 

簡潔に話すと仕事を辞めて地元に戻ります。

今の予定だと6月いっぱいまでは東京にいて、その後は北海道に帰る予定です。

仕事もそこで探すつもりです。

 

理由はいろいろあります。

仕事に対しては熱量とか、給料面。

プライベートに関しては近くに友達がいないので孤独を感じてたりとか。

自分の中でいろんなことが重なって、元々精神的に弱い自分にとっては今が限界でした。

幸せな時間というか、充実している時間の少なさからくる焦りみたいなものも凄くありました。

多分20歳くらいの時からずーっとこんな感じで、何かを変えるために東京に来たけれど、根本的には何も変わらずで。

 

ちょっと疲れちゃったので一旦実家でいろいろリセット・リフレッシュしながら親孝行でもしたいなぁなんて思ってます。

ようやく親に感謝できる人間になってきたので。

 

まあでも、東京に来たのが失敗だったかと言うとそんなことも無い気がしていて、ここに居たからあった出会いも少ないけどあったし、東京に来なければ見えなかったこともあったと思う。

ほんの少しだけ外の世界を見れたことはきっと無駄にならないと信じてみようと思います。

 

 

 

それから、これを読んでくれている人はGRCReWさんが多いと思うのでライブに関してもちょっと触れますが、仕事が早く決まればライブも行きたいなと思ってます。

東京、郡山、札幌のどれか。

多分9月以降になると思います。

もし会えたらそのときはよろしくお願いします。

 

 

近々またdiscordで通話開こうなんて思ったり思ってなかったりなので、そんときは付き合ってください。

ほんじゃまたね。

 

ばいばい。

生きるのに疲れた

皆さんお疲れ様です。

1月末に書いたのを最後に投稿していませんでしたが、皆さんお元気でしょうか。

 

僕は元気じゃありません。(笑)

 

東京に来て約2年半経ちましたがその2年半の間にちゃんと意味を持って生きられたのかなって思うと、持とうとはしたものの結局何も得られなかったのが結果かなと思います。

もちろん大切な人は増えたけどそれは東京じゃなくてもよかったんじゃないか、とか。

両親やじーちゃんが大変な時にそばにいてやれなかったり、とか。

違った選択をしていたら今頃どうなっていたんだろうって、かんがえても意味の無いことを考えています。

 

自分の今後についてかんがえれば考えるほど迷宮の中を歩いているみたいで一向に答えが出ません。

そんなことをずーっと考えてたらなんだか生きるのに疲れてきちゃって。(笑)

なにかのきっかけなんて相手からやって来てくれるほど親切じゃないから、自分でどうにかするしか無いことはわかってるんだけど、、、

わかってるんだけど動けないのか弱い自分らしいというかなんというか。

 

このブログも振り返ってみるとけっこうカッコつけたことかいてて、今みると何も実現出来ていないことが情けないというか恥ずかしいというか。

でもその時はまだ前を見れていたってことだから、今よりはいい状態なのかもしれないね。

 

今はなんかそんな前向きな言葉が出てくるような状態ではないかな。

別に何があったとかじゃないんですけど、積もり積もった何がが爆発した感じです。

 

腐っちゃいけないと思って頑張って生きていたけど、それももう疲れちゃって。

 

それでも生きていかなくちゃいけないから、なんとか死なないようにはするけど、今は前向きには生きられないかな。

 

最果てのパラディンを読んだ時に「まだ死んでいないのと生きているのは違う」って書いてて、それが今も自分の心にグサッと刺さったまんまです。

 

いつか胸張って「生きている!」って言えるようになりたいな。

 

 

あとこれ読んだからといって心配しなくて大丈夫です。

心配されるのがいちばん虚しいので(笑)

 

今回はこれくらいで。

ばいばい。

「死にたい」は逃げじゃない

今日はちょっと最近思ったことを書こうと思います。

明るい話題にはならないと思うんですけど、それなりに真面目に書こうと思うので読んでいってください。

 

 

生きていると悩みは尽きないわけで、生きるのは難しいなーと思う毎日なのですが、先日こんな記事を見つけました。

http://www.死ぬのを延期しつづけている|朱野帰子.com/ @kaerukoakeno

 

これを読んでみて、いろいろ考えさせられたわけです。

生きるとはなにか、とか。

「死にたい」と言う人はどういう状態なのか、とか。

 

僕自身何度も死にたいと思ったことはありますし、今でもたまに思うことがあります。

でもなんだかそれが“逃げ”のような気がして、なるべく口に出さないようにしてきたし、その「死にたい」という気持ちを他人に見せないようにもしてきました。

でもこの記事を読んで少し考え方が変わったというか、なんというか。

この記事にある、

みんな生きたかったに決まってるじゃないか。

という一文がなにか凄く心に残っていて、「死にたい」とは言いつつも本当は“生きたい”んです。

だから自分の中の「死にたい」と戦っているんだと、そう考えるようになりました。

 

そりゃ誰だって幸せに生きたいよ。

 

この満ち足りない日々を変えるには自分でどうにかするしかないとわかっていても臆病すぎて何も変えられないし、でもそんな自分が嫌いで…とグルグルしているうちにまた「死にたい」がやってくる。

楽しそうな人を見ると色んな感情が湧き出てきて、羨ましいなのか、惨めなのか、その時々でいろいろ違うけれど、「どうして自分だけ」と思ってしまう。

そんなことないのに。

 

そんなことを言う度に「頑張れ」とか「逃げるな」とか「ちゃんと生きて」とかそんな言葉をもらうけど、自分からしたらドン底なわけで、「もう頑張ってるよ!」って思っちゃうんだよね。

 

生きるということがものすごく難しくて、辛い。

 

何のために何をして生きていったらいいのか分からないし、時間だけが過ぎていって、もしかしたらずっとこのままなんじゃないかとかいろんな不安が押し寄せてきます。

 

この前のGReeeeNのライブで刹那が流れた瞬間に大号泣した理由もだいたいわかっていて、いつからか忘れたけど、ある時からずーっと“生きる意味”を探していたんだと思います。

 

こんなことを書いておいてなんだけど、今の僕は「死にたい」まではいってなくて、むしろ元気というか。

ただ、なんかあるきっかけでこんなことを考えていたらこの気持ちを書き残しておきたいと思って書き始めました。

 

僕もこっち側の人間だから思うけど、絶望の淵にいる人を助けられる人になりたい。

でもそう思えば思うほど無力で、そんな自分が情けなくもなります。

こういう人にかける言葉って難しくて、正直何を言っても響かないってのも分かってます。

自分がそうだから。

ただなんか、独りにはさせちゃいけないことだけはわかっていて、なんとか寄り添える形はないかって、それだけ考えるようにしてます。

多分強い人間ではないと思うんですよ。お互いに。

だからこそ助けたい気持ちが強いんです。

 

この先何度も「死にたい」はやってくると思うんです。

その度にちゃんと「生きてていいんだよ」って言ってあげたいし、光にはなれずとも隣にいてあげるくらいのことはしたいなと。

 

 

久しぶりにこんなことを書いたけど、僕はほんの少しだけ前を向けています。

この前のGReeeeNのライブみたいな、いつかの最高の瞬間のためにもう少し生き延びてみようと思います。